被災者へのケアに関する覚え書き
〜 ボディサイコセラピー(身体心理療法)の視点から 〜
BIPS ディレクター、リズムセラピー研究所所長 贄川治樹
【前書き】
東日本大震災後、東京オフィスに来られる方の心身のケアをしていて、感じることがあります。それは、このような大震災では、直接被災していなくても相当なストレスになっているということです。ましてや実際に被災された方々は、想像を絶するストレス化に身を置いているのでしょう。このような状況において、被災者へのケアをされている方、特にカウンセリングや手技療法をされている方に対して「少しでもお役に立てれば」という思いから、私が用いている理論と技法の中から今の状況で使えるものを、簡単ではありますがお伝えしたいと思います。
この覚え書きは、「震災後に来るクライアントさんの背骨が固い」という同僚からの報告に基づいて書き始めたという経緯があるため、記述内容の多くは「背骨の固さ」に関するものになっています。「背骨の固さ」は交感神経系のストレス反応ですから、ストレスを感じている多くの人にこの症状が生じていると予想されますので、「背骨の固さ」に関する記述内容は、被災者のケアする上での参考になると思います。
読まれて質問などございましたら、最後に記載いたします問い合わせ先までご連絡ください。なお、被災された方のケアする上で、より多くの人に役に立てて頂きたいという思いから書きますが、同時に正しく伝わって欲しいという願いもあります。ですから知人にこの内容を紹介して頂く際には、部分的に転記するのではなく、このPDF書類のままお渡しくださいますよう、お願いいたします。また、誤りを見つけた方は、ご連絡頂けると助かります。
前書きの最後にお伝えしておきたいことがあります。この覚え書きは、マニュアルではありません。お読みになる方がすでに身につけている理論や技法に、新たな視点をつけ加えて頂くためのものです。この覚え書きを参考にして被災者のケアをなさる場合であっても、その場で実際に起きてくることに関しては、すべて関わる方の自己責任となります。ご了承ください。そしてまた、この覚え書きは、被災地で被災者との関わりのなかで感じたことを書いているわけでありません。ですから現地で実際に関わる方は、この覚え書きの内容よりも、現場でご自身が感じることの方を信頼してください。
【背骨の固さについて】
震災後、多くの方が感じている背骨の固さは、ストレスに対する防衛反応によるものです。内側にある恐怖や悲しみなどの情動を抑制し、目の前の出来事に対処しようとしているのです。より細かく観ていくと、背骨が恐怖によって縮こまり、柔軟性を失い、横隔膜が引き上がり気味になり、横隔膜が腰椎を内側に引っ張る感じがあります。そのことによって、エネルギーが横隔膜より上に過剰に溜まり、顔が火照り、手足が冷たくなり、呼吸が浅くなり、拍動が速くなっている感じもしますし、グラウンディングを失っている感じもあります。眠りが浅く、深くリラックスできないという傾向もあります。心理的には緊張感が強く、不安と恐怖が深くで持続している感じです。これはまさに交感神経系のストレス反応です。
このストレス反応では、からだを固めることによって自分を守っていますので、固めることは決して悪いことではありませんが、この状態が長い間続くなら心身は消耗していしまいますから、何らかのサポートが必要になります。特にこのような大震災の場合、多くの人が、ストレスに対して適切な対応ができる範囲(耐性の窓)を超えて凍りつき、トラウマ状況にあるのではないかと、私は危惧しています。この場合は、一人だけではどうにもならないので、専門家のサポートが必要となります。
【ボディサイコセラピーを用いたケア】
ボディサイコセラピーは、からだを取り入れた心理療法です。からだ、こころ、エッセンス(本質)につながりを作り、生命を統合することを目的としています。精神分析、発達心理学、胎生学、神経生理学、運動生理学などの幅広い領域をカバーし、現在も発展し続けている心理療法です。具体的に行うことは、多くの理論と技法をたずさえて、目の前にいる人に同調し、身体感覚、動き、感覚器官、呼吸、情動や感情、言葉やイメージ、関係性で起きることなどに意識を向けながら、クライアントと一緒に内面への旅を歩んでいきます。ですから、明確なシークエンスというものはありません。ボディサイコセラピーを体験されたことがない方にとっては、これから記述する内容はイメージしにくいと思います。しかし、被災者の多くはストレスを抱え、自律神経系のリズムを崩している可能性が高いので、「被災者の自律神経系に何が起きているか」ということを理解するために、お読みください。
背骨の固さを含め、前述の症状は交感神経系のストレス反応であり、ストレッサー(ストレスを与える源)に対する健全な反応ではありますが、避難生活が長引いたり、放射能漏れなどの影響で復興の見通しが立たない状況が長く続いたりすると、ストレスが持続的に心身にかかり、交感神経系優位の状態が続きます。本来、交感神経系のストレス反応は「戦うか逃げるか」です。身の危険を察知し、瞬時に行動に移してストレス状況を打破したり回避しようとする反応です。ストレス状況に対処できれば、その後は副交感神経系が優位になり、安心して休息できます。自律神経系のリズムは保たれるのです。しかし、今回のようなストレス状況が継続すると、瞬時に行動に移してストレスに対処することができません。「動きたいけれど、動けない状態」になります。こうなると交感神経系と副交感神経系が絡まって「結び目」ができてしまうのです。自動車に例えると、アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態になります。それは自律神経系にとって障害になります。
自律神経系のリズムを取り戻すためのセッションで意識することは、安心感を与え、クライアントが交感神経系、副交感神経系のどちらに向かうかに意識を向けて、クライアントの流れに添っていき、その流れを少しだけ促すことをします。ただし、最初から副交感神経系に入ってしまうと、傷つきやすさと無力感に深く入りすぎてしまうリスクがありますから、できれば交感神経系を促すことが大事だということを、頭に入れておいてください。交感神経系を高めれば高めるほど、副交感神経系に深く入っていくことができます。
では、ボディサイコセラピーで自律神経系に働きかける場合、具体的に何をするのでしょう。そのための理論や技法はいろいろありますが、大切な要素として「情動を扱う」ことがあげられます。なぜなら、自律神経系は情動と深い関連があるからです。交感神経系は、飛び上がるほどの歓喜に代表される活気のある情動と関連し、副交感神経系は、優しさ、とろけるような幸せ、慈悲深さなどの受容的な情動と関連しています。ネガティブな情動としては、交感神経系は、激怒、怒り、欲求不満、抗議などがあり、副交感神経系は、傷つき、悲しみ、失望、恥、喪失感などがあります。これらネガティブな情動は痛みを伴いますが、「あなたの振る舞いや態度、考え方を変えなさい!」という重要なメッセージを伝えてくれるので、悪いものではありません。では、交感神経系と副交感神経系が絡まって「結び目」ができてしまうと、情動にどのように影響するのでしょう。交感神経系の怒りは、恨み、敵意、残酷さになり、副交感神経系の悲しみは、うつ、空虚感、アパシー、絶望、ひきこもりになります。情動の表現は、悲しいのに泣けない、怒りがあるのに四肢を使った瞬発的な力強い表現や強い声が伴わない、情動がこもらない平坦な話し方になるなど、「表現したいけれど表現できない状態」になります。バイオシステミックス学派の創始者であるジェローム・リス博士は、「情動を深め、表現することは、大脳辺縁系(情動)と視床下部(自律神経系)に活発なつながりを作り、自律神経系のリズムを刺激します。ですから自律神経系のリズムを取り戻すためには、深い情動を適切な形で表現することが重要になります。」と述べています。そのような理由からボディサイコセラピーでは、「結び目」を解くために、情動を扱うことを大切にしているのです。このことは、ジェローム・リス博士の論文「The Neurophysiology of the Emotions and of Consciousness : Recent Research」で詳しく説明されています。
それでは自律神経系にできた結び目を解き、自律神経系のリズムを取り戻すための具体例を、二つ紹介しましょう。
一つ目は、クライアントが副交感神経系に流れようとしている場合です。セラピストは背骨、特に腰椎にしっかりとしたタッチを与えます。そのことによって、クライアントは支えてもらっている感じ、一人ではない感じを味わい、安心し始めます。その時にセラピストが行うことは、クライアントとコンタクトを取り、呼吸を合わせ、クライアントの内面で起きていることに共鳴し、話すことに傾聴することです。そうすると徐々に呼吸と腸の蠕動運動(副交感神経系)が活性化してきて、自然と固まっていた情動が動きだす可能性があります。今回の場合は、恐怖や悲しみが出てくる可能性は大きいでしょう。今の状況へのストレス反応にフォーカスをしたセッションであれば、そこから個人的な生育歴に入る必要はありません。クライアントの隣りにしっかりと存在し、今の状況に対する思いや気持ちに寄り添うことが大事になります。セラピストは、穏やかな低い声で語りかけることも重要です。
二つ目は、クライアントが交感神経系に流れようとしている場合です。セラピストは、クライアントに生じてくるかすかな動きに着目し、その動きを増幅していきます。動きを大きくしていくことと同時に、それを徐々にからだ全体に拡げていきます。もちろん、声でも表現してもらいます。そうすると交感神経系の情動がどんどん強く表現されることでしょう。特に怒りです。このような大震災では、やり場のない激しい怒りを持つものです。それを表現することはとても重要です。それを十全に表現できたなら、その後自然と副交感神経系に流れていき、悲しみを深く感じていき、嗚咽とともに嘆きや悲しみが表現されることでしょう。セラピストは、この自律神経系のカーブに、一緒についていくことが大事です。
ここで注意を促したいのは、上記のような深い情動を扱う技法が不適切な場合があることです。それはトラウマを扱う場合です。トラウマは、突発的な出来事によって生じますが、トラウマになる要素は二つあります。「耐えうる以上のストレスがかかること」と「その出来事を容易に理解できないこと」です。まず、今回の大震災では実際、多くの人に耐えうる以上のストレスがかかっています。そして今回、報道で「予想外」「想定外」という言葉がよく使われますが、その言葉は、誰にとっても心理的に、理解不能なことが起きたことを表しています(リスクマネジメントとしては「予想外」「想定外」という言い訳は通用しませんが)。このように今回の大震災には、二つの要素ともありますので、多くの人にとってトラウマになっている可能性があります。
トラウマ性の出来事に遭遇した場合、交感神経系の「戦うか逃げるか」のストレス反応よりも原始的な反応に移行します。背面迷走神経複合体のストレス反応である「凍りつく」ことが起きます。例えば、自分が小動物だとしましょう。自分の目の前に突然、ライオンなどの捕食動物が現れたとします。そうすると有機体としての一番古いストレス反応が働き、「凍りついて、死んだふり」をするのです。動作は完全に静止し、内臓のプロセスはブロックされます。恐怖や痛みは感じなくなります。動物は死んでいる動物を食べませんし、動かないものを生き物と認識しないため、小動物は動かなくなることによって、捕食動物から自分の身を守るのです。このような反応は、もちろん私たち人間にも生じます。被災地でケアをされる方は、この反応は意識的に行われるのではなく、自律神経系のストレス反応として自動的に生じるということを理解しておいてください。というのは、トラウマ性の出来事に遭遇した時、「自分は何もできなかった」と自分を責める人が多いからです。自分の意志とは関係なく、生体反応として凍りついたことを被災者が理解できれば、自分を責めることはなくなりますから。
「凍りつき(緊張性静止状態)」は、随意筋の過緊張によって生じるのですが、興味深いことは、その際、随意筋の過緊張とともに随意筋の弛緩が同時に起きることです。相反する作用が同時に起きるのは、本来交互に働く交感神経系、副交感神経系が同時に亢進してしまうからです。そうなると私たちは、緊張して固くなると同時に、からだも心も麻痺し、力を失い、崩れ落ちてしまいます。このような状態では「底が抜ける」「すべてを失った」「お腹が空っぽになった」などの感覚を伴います。これはトラウマによって生じる感覚であり、感情的にとても痛みを伴う体験となります。「凍りつき」は、前述の自律神経系の「結び目」が瞬時に強烈に深いレベルで起きると思ってください。そして、このようなトラウマを体験すると、後々、「外傷後ストレス障害(PTSD)」が発症する可能性があります。PTSDでは、「扁桃体」が常に活性化しているために自律神経系の亢進状態が持続し、ちょっとしたことが引き金となってトラウマが再現されてしまいます。パット・オグデン博士は、トラウマが再現されると、適切な対応ができる範囲(耐性の窓)を超えて極度の活性期(過覚醒)に行くか、もしくは極度の疲労期(低覚醒)に落ちると言っています。「過覚醒」に行くと、感覚と情動反応の増大、睡眠障害、侵入的行為、認知プロセスの混乱が生じ、「低覚醒」に落ちると、感覚の差異に対する無感覚、情動の無感覚、認知プロセスの不能、身体動作の低下が生じます。PTSDの犠牲者は、ストレスに対する適応範囲が狭くなっているために、ちょっとした刺激によって過覚醒や低覚醒に陥ってしまいます。それは彼らの生活が、極度に制限されたものになることを意味します。
そのようなトラウマやPTSDで悩む人を支援するには、情動の表現を促す前述のような技法は適しません。ストレスに対して適切な対応ができる範囲(耐性の窓)の内側で丁寧に心身のプロセスを促すことを通して、適切な対応ができる範囲(耐性の窓)を少しずつ拡げていくことが重要になります。その際、言葉だけではなく身体感覚を含めて心身のプロセスを促す必要があります。なぜなら、トラウマ体験によって記憶処理と関わる「海馬」と言語処理と関わる「ブローカ野」の活動が抑制されるので、トラウマ、PTSDへのアプローチには言語では限界があるからです。ですから、からだを取り入れた心理療法(ボディサイコセラピー)のアプローチが有効なのです。そういう意味でボディサイコセラピーは、今後、被災者のケアにとって、とても重要になることでしょう。ただし、この覚え書きでは、ボディサイコセラピーが、どのようにしてトラウマ、PTSDのセラピーを行うかは、残念ながら説明しきれません。書籍「トラウマティック・ストレス」「PTSDとトラウマの心理療法 〜心身統合アプローチの理論と実践」と、ジェローム・リス博士の論文「Steven Porges’ Multiple Level Visceral Model」を参照ください。
セラピーによって徐々に自律神経系のリズムを取り戻すことができれば、太古から存在する「背面迷走神経複合体のストレス反応(凍りつき)」から抜け出して、上位の「交感神経系のストレス反応(戦うか逃げるか)」が機能し始めます。そうして初めて、人間だけが持っている、さらに上位の「人との関わりのなかでストレスを軽減させる機能を持つ「腹側迷走神経複合体のストレス反応(Social Engage System)」が機能し始めて、健全性を保つことができるようになります。「Social Engage System」については、BIPSサイト「公開論文」にある「ポリヴェーガル理論 〜ポージェスへのインタビュー」、および「Steven Porges’ Multiple Level Visceral Model」をお読みください。
上述した自律神経系に生じることを理解した上で、心理療法を行う環境がない現地において、どのように被災者と関わればいいのでしょう。これに関しても残念ながら、この覚え書きでは説明しきれませんが、それを知るための最適な本を紹介します。「悩みを聴く技術 〜ディープリスニング入門」(著者 ジェローム・リス/翻訳 国永史子 春秋社)です。人の悩みを聴く上で大切なことが、分かりやすく書かれているので、専門家にはもちろんのこと、NPOのボランティアスタッフなどに、是非とも読んで頂きたい本です。近い将来、ディープリスニングに関する専門家向けの小冊子をジェローム・リス博士の協力のもと、BIPSにて作成し、公開する予定です。ご希望の方は、下記「問い合わせ先」までご連絡ください。なお、ディープリスニングは、人と関わる上でとても有益なのでお勧めしますが、ボディサイコセラピーは深くにある情動を扱うため、トレーニングを受けていない人がボディサイコセラピーを行うのは、行う側、受ける側双方にとってリスクがありますので、おやめください。ただし、前述のようにボディサイコセラピーは、自律神経系のリズムを取り戻すことや、トラウマ、PTSDに有効な心理療法です。現場で、ボディサイコセラピーを必要としている方は、同じく下記「問い合わせ先」までご連絡ください。
【ボディワークを用いたケア】
横隔膜が引き上がり、背骨が固くなった交感神経系優位の緊張状態を緩め、副交感神経系を活性化するボディワークの手法をお伝えします。まず最初に施術者が行うことは何だと思いますか? それはリラックスして、受け手の方とコンタクトをすることです。なぜなら、コンタクトを伴った心地の良いタッチは、それだけで安心感とリラックスをもたらすからです。次に、原則として受け手が気持ち良いと感じる範囲内で施術を提供する、ということをおぼえておいてください。からだの固さはストレスへの反応であり、その防衛を何処まで緩めていいかは、受け手のからだが知っています。ですから施術者は、受け手の身体感覚を尊重する必要があります。受け手が不快に感じるのであれば、いくら施術者がいいと思うことであっても、行わないようにしましょう。受け手中心が基本です。
もし受け手が苦痛に感じるほど、施術者が強く圧力を加えたとします。そうすると受け手にはどのような反応が起きると思いますか? 生体として、その圧力をストレッサー(敵)として認識し、防衛として交感神経系が働き出します。震災後、ずっと交感神経系が優位であるにもかかわらず、さらに交感神経系を活性化させられたなら、受け手は当然、不快に感じます。ずっと頑張っている被災者に「頑張りましょう!」と言うことと、からだに対して同じことをすることになります。
被災地でのボディワークのセッションでは、環境や受け手によって、働きかける順序、受け手の姿勢、働きかける圧の加減や技法の種類、ある箇所にかける時間は変化しますが、一般的に効果のある順序を記述します。
1.思考を静めるために、まず受け手には仰向けになってもらい、頭部を緩めていきます。恐怖により顎関節や後頭部の緊張も強くなっていますので、後頭部、側頭部、頭頂部を緩めることも大事です。特に収縮が起きている盆の窪は、丁寧に緩めていきましょう。
2.可能であれば、布団や毛布などを敷いて、うつぶせになってもらい、頸椎から仙骨に向かって、脊椎脇に適度な圧を加えながら行う、しっかりとした長いストロークが有効です。もしオイルマッサージができればとてもいいでしょう。胸椎から頸椎にかけて、椎間関節ひとつひとつに柔軟性とスペースをもたらすことも有効です。横隔膜が付いている腰椎上部辺りの固さを緩めることに時間をかけてください。横隔膜の緊張が緩み、お腹に息が入るようになります。時間にゆとりがあれば、骨盤後部、外旋筋や脚後面を緩めます。その際は、リンパ液や血流を意識して施術をするといいでしょう。いずれの場合も、一般的には、あまり速いストロークや手の動きはしない方がいいと思います。ゆっくりとした動きの方が副交感神経系に入っていきますから。ただし、漸進的筋弛緩法を利用して、意図的に交感神経系を最初に活性化することはいいです。
3.仰向けに戻ってもらいます。多くの人は身を守るために肩を引き上げ、内旋させている傾向があります。その場合には、大胸筋、小胸筋、三角筋前部、胸鎖乳突筋、斜角筋、肩甲挙筋、僧帽筋を緩めることをお勧めします。
4.横隔膜を胴部前面から直接緩めるのも有効です。その場合は受け手の呼吸に合わせ、吐く息とともに深く入り、丁寧に緩めていきます。大腰筋や大腸の平滑筋を緩めることで、より深くリラックスさせることもできます。ただし、横隔膜や腹部に働きかける場合、腹部が緩むことによって情動にも影響が及びますので、受け手を取り巻く環境(早急に対処しなければならない現実のストレス状況)を把握し、その方の自我の強さなどを考慮して、施術をするかどうかを見極める必要があります。もし自然と情動が沸き上がってきたなら、受け手が安心できるようなタッチをして、起きてきた気持ちを表現してもいいということを、伝えましょう。そしてそのためにゆったりとした時間を取りましょう。悲しみなどの副交感神経系の情動が出てきたら、それを味わうには時間が必要です。その時の対話のしかたは、先ほど紹介した「悩みを聴く技術 〜ディープリスニング入門」を参照ください。情動を扱うトレーニングを受けていない人は、意図して情動を刺激したり、受け手の内面深くに入ろうとは思わないでください。ボディワークは思っている以上に心身に影響があり、両刃の剣であることを忘れないでください。
5.最後に、もう一度頭部に戻り、頭を繊細にホールドしましょう。頭蓋仙骨療法を修得されている方は、最後にCV4などのテクニックを用いて、脳脊髄液のプライマリーパルスを整えるといいでしょう。
以下は不安や恐怖が強い方へのオプション的な施術の紹介です。
不安や恐怖が強い方には、緩めるのではなく、左右対称に全身に触れていく、安定したタッチが必要です。その場合は、受け手の呼吸のリズムに合わせて掌全体で触れていくようにして、さすったりソフトなタッチは避けてください。なぜなら、さすったりソフトなタッチでは、不安を強めてしまうからです。施術を受ける際の受け手の姿勢は、うつぶせになることをお勧めします。うつぶせになることによって、繊細な胴部前面が大地(床やマッサージテーブル)に触れるため、安心感をもたらすことができます。もしくは、横向きになり膝を抱えるような胎児の姿勢でもいいです。仰向けでは、自分をさらす感じになり、不安を強めてしまいます。
また、エネルギーの観点から説明すると、不安というのは、エネルギーがチャージされているにもかかわらず、放出するための出口がない状態です。「息を詰めている状態」をイメージすると分かりやすいでしょう。私たちは恐怖によって腋の下を締めますが、ここの緊張を緩めることによって、過度に溜まったエネルギーを腕に流させ、手から放出させることができます。具体的に働きかける筋肉は、広背筋、大円筋、僧帽筋、大胸筋、肩甲下筋、棘上筋、棘下筋など、胴部から腕に繋がる筋肉群と腕の筋肉群です。それらの筋肉群が緩むことによって、胴部に過剰に溜まっていたエネルギーが腕を通して放出され、不安は軽減します。この不安に対するボディワークは、バイオダイナミックスのものです。バイオダイナミックスに関しては、BIPSサイト「公開論文」に、いくつか論文を掲載しています。
【からだを動かすことの有効性】
不安や恐怖によって固まったエネルギーをリリースするためには、からだを動かすことも大事です。ジョギング、エアロビックス、ボクササイズ、ヨガ、ストレッチなど、好きな運動をするよう、提案しましょう。大声を出したり歌うのもいいです。できれば交感神経系の運動と副交感神経系の運動の両方を行うよう、提案します。その場合、少なくともいずれかの神経系の運動を15分は続けるように勧めてください。自律神経系に影響を与えるには、適度な刺激の運動を最低15分は継続する必要があります。理想を言えば15分かけてストレッチから始めて徐々に交感神経系を高めていき、その後15分かけて副交感神経系に入っていく、という流れで行うといいでしょう。なお、恐怖の強い方には、空手の突きのような、呼気とともに随意的な動きを瞬発的行う、交感神経系の運動が有効です。
呼吸に対する意識と適度な刺激を伴うリズム運動は、エネルギーを解放するだけではなく、脳内のセロトニン神経を活性化させます。セロトニン神経の活性化により、脳内の危機管理センターであるノルアドレナリン神経の働きが抑制され、不安や恐怖が減少し、鎮痛効果と平常心がもたらされます。実際にセロトニン神経を強化するには、このような運動を毎日、少なくとも3ヶ月間続ける必要はありますが、1回でも20分ほど運動すると脳波に影響し、気分は変わります。このセロトニンに関する情報は、東邦大学医学部有田秀穂教授の研究によるものです。軽うつの方は、セロトニン神経が弱っている可能性がありますので、適度な刺激を伴うリズム運動をお勧めします。
バイオエナジェティックスのグラウンディング・エクササイズも、とても有効です。グラウンディングできれば、脚を通して大地にエネルギーをアースさせることができますし、自分自身の立ち位置がわかり、自分自身を取り戻すことができます。日本全国で、地震によって物理的に大地が揺れ動いているために、誰もがグラウンディングを失いがちです。ですから、このエクササイズを毎朝行うことをお勧めします。このエクササイズのやり方は、BIPSサイト「公開論文」にある「グラウンディング」を参照ください。論文を読む余裕のない方にお勧めしたいのは、外で土に触れることです。しゃがみ込まずに立ったまま、膝を軽く曲げて前屈した状態で土に触れます。実際に耕してもいいでしょう。その姿勢はグラウンディングするのに役立ちます。なお、バイオエナジェティックスは、ボディサイコセラピーの一学派ですが、このグラウンディング・エクササイズは、一人で自室で行っても大丈夫です。
【ドラミングを用いたケア】
ドラミングの良さは、まず、力強さをお腹から感じることができるということです。ストレス状況では、誰にとっても、恐怖や心配、不安によってエネルギーが頭部や胸部に過剰に集まり、お腹は凹んでしまう傾向があります。そうなると、お腹にある力強さを感じにくくなりますし、腹を据えて落ち着いて考えることができなくなります。ドラミングによって、上半身に過剰に溜まったエネルギーを腕を通して放出したり、下に降ろすことができます。その結果、お腹で原初的な力強いエネルギーを肯定的に感じることができるのです。それは不安を減らしますし、落ち着いて考えたり適切な行動を取るための力になります。同時に叩く行為は、動物的であり、攻撃性の表現ですから、交感神経系のストレス反応である「戦う」エネルギーを活性化しますので、「太古から存在する背面迷走神経複合体のストレス反応(凍りつき)」から抜け出すツールになります。
ドラミングの良さの二つ目は、一緒に叩いている人の間に、深い一体感を生じさせることです。これはリズムの力と音の力によるもので、ある一定時間リズムを意識して叩いていると、自然とリズムが同調してくるのです。これを「同調化の作用」と言います。このリズムの同調は、言葉や価値観、考え方などよりも深いレベル、コミュニケーションの土台の部分で生じるために、「人とつながっている」という感覚と安心感をもたらしてくれます。私たち人間は社会的動物であるため、孤立すると心身に苦しさがもたらされますが、逆に人と一緒にいることを体感することは、ストレス状況を乗り切るための大きな力になるのです。ですから可能な限り、グループで行いましょう。
ドラミングの良さの三つ目は、子どものように夢中になって楽しめることです。被災者が、未来に対する不安を持ち、起きてしまったことを嘆き悲しむのは当然のことですが、それに圧倒されてしまうと、「今ここ」の瞬間を感じることが難しくなってしまいます。ドラミングに夢中になり楽しむことは、辛い状況にある方達を過去や未来から「今ここ」に連れ戻し、彼らの内側にある生命の輝きとリソースを蘇らせます。
グループを対象にドラミングを療法的に用いた「ヘルスリズムス」は、敵意・混乱・緊張・不安を低下させ、意欲・免疫系(がん細胞を攻撃するNK細胞など)・セロトニン神経を活性化することが科学的に実証されています。意欲・免疫系・セロトニン神経の三つを高めることができれば、よりストレス状況に対処しやすくなることでしょう。
被災地で打楽器がない場合は、プラスティックや鉄製のゴミ箱やバケツを裏返しにして、使うことができます。叩いて音の出るものであれば、何でも使えます。
【最後に】
この覚え書きは、時間のないなか、思いつくままに書き上げましたので、全体としてまとまりがないものになりましたが、急を要することから公開に踏み切りました。大震災から丁度1ヶ月が経ちました。辛い思いをされている被災者のケアをされる方にとりまして、少しでもお役に立てることを願っています。(2011年4月11日)
【参考文献、および推薦図書】
「悩みを聴く技術 〜ディープリスニング入門」 ジェローム・リス著 春秋社
「つながる技術 〜未来のためのソーシャルコミュニケーションガイド」 ジェローム・リス著 春秋社
「The Neurophysiology of the Emotions and of Consciousness : Recent Research」 Jerome Liss, M.D.著
「Steven Porges’ Multiple Level Visceral Model」 Jerome Liss, M.D.著
「グラウンディング」 アレクサンダー・ローエン著 BIPSサイト 公開論文より
「ポリヴェーガル理論 〜ポージェスへのインタビュー」 ラヴィ・ディケマ著 BIPSサイト 公開論文より
「バイオダイナミックスとは何か」 ゲルダ・ボイスン著 BIPSサイト 公開論文より
「トラウマティック・ストレス」 ベセル A. ヴァン・デア・コルク他著 誠心書房
「PTSDとトラウマの心理療法」 バベット・ロスチャイルド著 春秋社
「脳からストレスを消す技術」 有田秀穂著 サンマーク出版
「頭蓋仙骨治療」 Dr.ジョン・E・アプレジャー,D.O.著 ジャパン・オステオパシック・サプライ
「ヘルスリズムス」 リズムセラピー研究所サイトより
「セラピューティック・ボディワーク」 贄川治樹著 リズムセラピー研究所サイトより
「セラピューティック・ドラミング」 贄川治樹著 リズムセラピー研究所サイトより
【問い合わせ先】
贄川治樹(にえかわはるき:BIPSディレクター、リズムセラピー研究所所長、セロトニンDojo師範)
MAIL :info@niyekawa.com